「やっぱり熱出ちゃってたか…」
太陽の光がギラギラと、そして容赦なく照らし始めた正午を過ぎた時のこと。
私は本来会社にいて業務についてるはずなのだが、今日は病院に来ていた。いや、むしろ病院に行けと上司に言われて会社を早退してきたんだけどね。
朝から熱っぽいなとは感じていたけど、まさか本当に熱が出ていたとは。しかも38度台の熱。私には珍しいそれに思わず苦笑する。
会社を早退するなんて初めてだから、なんか変な感じだな…。
周りを見渡すと、スーツ姿のサラリーマンや学生が賑わっていてどこか場違いに感じるのは気のせいだろうか。
お昼を回ったこの時間帯に外にいることはないから、どこか優越感に浸ってしまう。
携帯を取りだし、某SNSに今の状況を書き込む。
熱出して会社を早退してきちゃったーーっと。
心配してほしいというよりも、珍しいこの状況を何かに残したくて。今は日記などに書き留めなくても、こうして簡単に残せるから便利な世の中になったなとつくづく思う。
毎日通勤時に使う電車。
いつもは朝と夜にしか乗らないはずなのに、昼間から乗るだけで違う電車に乗っているような錯覚を起こしてしまう。
ー…昼間だからかな。
子ども連れの親子が多い気がするのは。それにこんなに空いてる車両に乗ると、朝の混み具合が嘘みたいだ。
始発の電車ということもあり、がらがらの車両の中で席を確保する。いつもの降りる駅まで乗車時間が30分間もあるから、いつもなら携帯をいじるか寝るかの2択しかないのだけど。
なんでだろう、今はそんな気分じゃないや。
頭は朦朧としているのにも関わらず、何故か寝つきが悪かった。まぁ寝過ごすよりかはいいし、このまま最寄り駅まで起きていようかな。
各駅停車の電車ということもあり、比較的ゆったりなスピードで電車が動く。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
心地よい揺れと、車両の静けさに何故か心が落ち着いていくのが分かる。
あ、あの人が持ってる紙袋、結構有名な御菓子屋さんのだよね。久しぶりに食べたいなー。あ、あの人は就活生かな?こんな暑いなか、お疲れ様です。
ー…こういう時、なんで人は人間観察なんてしてしまうのだろう。暇だから、ってな訳じゃないけど無意識に目で追っちゃうんだよね。
なんてしている間に駅に到着したらしい。見覚えのある風景と車内アナウンスにより、ゆっくりと立ち上がり電車を降りた。
帰り道、スーパーで飲み物や消化に良さそうなものを適当に買って、我が家を目指す。駅から我が家まで徒歩15分弱。いつもは早歩きで通過しているこの道を、今日は景色も楽しみたいなと思って。いつもとは違う道を通って、家に無事到着することができた。
鍵をゆっくり回し、カチャンという音と共に差し込んでいた鍵を抜いて、ドアノブを回した。
「ただいまー」
なんて、誰もいないのにねと呟いた声を尻窄みにしていく。
社会人になって一人暮らしを始めたから、もちろん応えてくれる人などいない。でも毎日行っていた習慣だから自然と口に出してしまったのだ。
靴を脱いでキッチンの方へ向かい、一段落するために荷物を置くとーー。
「おかえり、体調は大丈夫なのかよ?」
「あ、梓!?」
見知った顔が、もとい彼氏でもある梓がなんとエプロン姿で出迎えてくれた。
今の状況に頭がついていかない。え、なんで梓が私の家にいるの?そもそもなんで梓は家に入れたの?合鍵渡してたっけ…………あ、そういえばこの間渡したな。何かあった時に使って、って言った気がする。
「な、な、なんで…?」
「熱出したって書き込みあったし、一人だと不便だろうから手伝いにきたんだよ」
そう言いながら、私のもとへ歩み寄ってきた。
梓とは身長の差が20センチ以上あるため、自然と目線を合わせようとすると見上げる形となってしまう。
「熱、何度あんの?」
「病院で計った時は38度あったけど…」
「はぁ!?そんな状態だったら歩くのも大変だったろ…ってか、駅まで迎えに行けばよかったな…。とりあえずーー」
ペタリ、と冷たいものが額に当てられた。
熱があるせいか、その冷たいものがとても心地よい。
「先に着替えてこい。あと薬飲まなきゃいけないんだろ?食べれそうなもん持ってくから、それまで寝てな」
ゆっくり額に手を触れてみると、何かシートみたいなものが貼られていた。そこでようやく、これは熱冷ましシートだということが分かる。
そうだよね、38度も熱あるんだし、気持ちいいはずだよね。暑さのあまり頭の回転が遅くなってた気がするけど、この冷たさのおかげで少しは解消された気がするー…。
ここは素直に梓の言うことを聞いた方がいいなと思った私は、うん、と頷き踵を返した。
***************
「どうだ、調子の方は?」
数十分後。
布団の中で一息ついてた頃、梓が部屋に入ってきた。
「うん…大丈夫だけど、梓はーー…?」
学生は今夏休みというのは知ってたけど、それでも今日は平日。部活とかあっただろうにー…梓に迷惑かけてしまった…。
「今日くらいは何も考えなくていいから。学生の俺にはこんなことしか出来ないし」
カタリと、枕元に何かが置かれた音が耳を通り抜けた。目を移してみると、スポーツ飲料と色鮮やかな何かが目に映る。
あ、私の好きな桃だ…あとみかんゼリーもある…。やっぱり、梓は私の好きなもの、把握してくれてるんだな…。
ゆっくり上半身を起こし、梓の用意してくれたフルーツたちに手をつける。
先ほどまで冷蔵庫でしっかりと冷やされていたのだろう。ゼリーを一口、口の中に入れると冷たさと甘さが口いっぱいに広がった。
「ー…美味しい…」
「ここ最近夏バテでしっかり栄養取れてなかったんだろ?ビタミンCとか水分たくさん取って、あとは睡眠をしっかり取る。休める時に休まないと、治るもんも治らないしな」
用意してくれたフルーツを食べ終わると、次は今日病院に寄って処方された薬に手をつける。
あとは寝るだけという状態になり、大人しく布団の中に潜り込む…が、同時に罪悪感で思わず涙が出そうになった。
風邪引いてる時って精神状態も崩れかけてるって言うし、それも相まってか年下の梓に迷惑かけて何してんだろうって。私ってなんでこんなにも弱いんだろうって、そう思って。
「…ゴメンね、梓…」
「ー…仕事、いつもお疲れさま」
え、と梓の顔に視線を移すのと同時に私の頭を、梓の大きな手が撫でてくれた。
なんでかわからないけど、たったそれだけの行為で心の底から安心していくのが分かる。
そして先ほどまで無に等しかった眠気がどっと襲いかかってきた。
「うん…ありがと、あず…さ」
年下の彼氏がここまで大きな存在になるとは、ね。
別に今まで年上だからしっかりしなきゃって意識はなかったし、敬語使われるのも嫌だったから普段通りにしてといつもお願いしてたんだけど。
無意識に、どこかで気を張ってたの…かな?
でもこういう時、頼れる彼氏がいて良かったなー…。
徐々に重くなる瞼。
そして、私はそのまま意識を手離したー…。
「…おやすみ、」