水鏡に映る三日月 | Main

水鏡に映る三日月



読書の秋

「やったーようやく終わったー!!」

両手を空に伸ばし甲高い声を教室中に響かせながら、今感じてる喜びを体全体で表現する。

只今の時間は午後12時40分。本来ならこの後は昼食タイムに入るのだが、今日は午後から職員会議があるとかなんとかで、一般生徒は4時間目が終了とした後に下校することになっている。私も勿論その内の一人なのだが、運の悪いことに本日の日直当番に当たってしまい今までその仕事をこなすため一人で居残りをしていたのだ。そしてようやくその日直の仕事を終わらせ、みんなより少し遅めの帰途につくことにした。
よーし、今日は都合がいいことに家には誰もいないから好き勝手して過ごしてやろうっと!家に帰ったらまずはテレビつけてー…あ、お母さんが戸棚に隠してる和菓子もちょっと貰おうかな!あのお菓子、お母さんが隠してるだけあって本当に美味しいんだよねー。名前も書いてないし、一つくらいもらってもバレないバレない♪

まだ家にも帰ってすらいないのに、何をして過ごそうかと考えていると自然と笑みが漏れる。さて、そろそろ家に帰ろうかとかばんを持ち上げいつも通りかばんのポケットに手を突っ込むのだが、それと同時に違和感を覚えた。

あれ、家の鍵がない…?

いつも入れているはずのかばんのポケットに手を入れても、それらしき感触がない。おかしいなと思いつつ、違うポケットや制服のポケットに手を入れて確かめてみるが、一向に鍵は姿を現さない。徐々に焦りを覚えた私はすぐさまかばんを逆さまにして鍵の行方を探ろうとするが、落ちてくるのは小さなゴミたちのみ。

…よし、ちょっと落ち着こうか。いつもはこのポケットに鍵を入れてるのは間違いないんだ。他の場所にしまうなんて有り得ない。何より今さっきから調べてるのに一向に出てこないのがいい証拠だ。…そもそも鍵は持ってきたんだっけ…?確か今日の朝は寝坊して、朝御飯を5分で完食した後は嵐のごとく家を飛び出したんだよな。ー…あれ、もしかしてーー…?

今のこの状況だけに最悪な事態しか思い浮かばない私の頭。サァーと顔色が変わっていくのが自分でも分かる。もしかして、もしかしなくてもーー…。


ー……家に鍵を忘れてきた…!?


朝はお母さんがいたから鍵はなくても問題なかったけど、帰るころには誰もいないから開けてくれる人がいないんじゃん…!!え…ってことは家に帰れないってこと!?私の計画全部ぱぁになっちゃうってこと!?
先ほどまで天国にいるような思いをしていたばかりに、今の状況にがっくりと肩を落とす。それはもう、言葉通りがっくりと。傍から私のことを見てる人がいたのなら、何一人芝居してるんだ?って思われるくらいの落ち込みようだったのではないだろうか。

…あーもう仕方ない。親が帰ってくるまで何かして時間を潰すしかないか……。といっても外でぶらぶらするにも学校の近くなんて何もないし、お金もあまり持ってないし…。なんで中学はチャリ通禁止なんだよ…!と意味もないツッコミを入れてみるが、どんどん自分が虚しく感じられたので潔く諦めることにした。
あと他に時間を潰せる場所はー…と頭の中で繰り返しながら考えていると、ふとある場所が思いついた。そういえばあそこはお金もかからないし、何より今いる教室から数分で着ける場所でもある。でもそこは果たして暇を潰せる場所なのかどうか…。でも背に腹は変えられないか、ということで仕方なくそこへ向かうことにした。


****************


「あ、郭くんだ」

喚起をあまりしていないのか本独特の匂いに包まれているこの場所――そう図書室に私は来ている。何の本を読もうか迷いながら図書室内をぶらついていると、偶然クラスメートの姿を見つけて思わず声に出してしまったのだ。そんな私の声に郭くんの方も気付いてくれ、私の元へと歩みを進めてくれた。


さんが図書室にいるだなんて珍しいね」
「んまぁ…色々あってね」

鍵を忘れて家に帰れないからここで時間を潰すんだーなんて、とても郭くんには言えない言えない…。
あはは…と乾いた笑みを零しながら誤魔化してると、郭くんの腕には数冊の本が抱え込まれていることに気付いた。…それにしても郭くんって本当に真面目だよね。授業は終わってるんだからもう家に帰れるのに、図書室で本読むなんてよほど本が好きなんだろうな。私なんて本なんかめったに読まないし、何より図書室は静かだからどうしても眠気が勝っちゃうからあまり来ないんだよね…。

「郭くん、本好きなの?」
「まぁーそこそこ」
「あ、良かったらおすすめな本紹介してくれる?今から時間潰さないといけなくてさ、せっかくなら面白い本が読みたいなーと思って」
「おすすめかー…。それなら、この小説なんかいいかも。さんあまり本読まないみたいだし、ページもそこまで多くないしね」

そう言って、郭くんが腕に抱えてる本の一冊を差し出してきた。

「え、でもそれ郭くんが今から読むんじゃないの?」
「俺はもう読み終わってるんだ。さんせっかく本に興味持ってくれてるみたいだし、もし良かったら読んで感想聞かせてよ」
「本当?それだったら読んでみようかな」

差し出された本を受け取る。表紙を見てみると煽り文句のところに「あの頃の僕達はまだまだ子どもだったーー」と書かれてあることから、青春物の小説なんだろうか。…ってか、郭くんがそういう本を読むのがなんか意外だな…。勝手な偏見だけど、推理小説とか評論を読んでるイメージがあったからちょっとびっくりしたよ…。

「えーと、それじゃありがとね郭くん!今から読んでみるね!!」

そう言って、私はすぐさま踵を返してしまった。あからさまに態度が怪しいと思われたか知らないが、やっぱりここで読む気にはなれなかった。やっぱり図書室の空気は苦手というかなんというか…できるなら違うところで本を読みたいなーって思って。それなら教室で読めばうるさくしても怒られないし何より気持ち的に楽だと感じた私は、図書の貸出手続きを済ませて図書室からそそくさと逃げるように出て行くのだった。


****************


<キーンコーン カーンコーン>


……あぁ、もうこんな時間か。

チャイム音に耳を傾けながら窓の外に視線を移すと、オレンジ色に染まった夕日が眩しく照らしていた。
そういえばあれからさんに会ってないけど、彼女はもう帰ったのだろうか。“時間をつぶす”と言っていたけど、何故そうするのか理由を聞けなかったし。もしかすると“今”暇ではなくて“これから”暇になるからと、家に帰ってから読む目的で本を借りていったのかもしれないし。
さんとは同じクラスだから明日学校で会えるだろうけど、今度話す機会があった時にでも本の感想聞いてみようかな。

そう頭の片隅に過ぎりながらも下校時刻を過ぎないように、俺は読んでいた本に栞を挟み座っていた席から立ち上がる。そしてそのまま貸出手続きを済ませると図書室から出て行くことにした。

「あ、ノート…」

下駄箱に向かう途中、俺はロッカーに置きっぱになったままのノートの存在を思い出した。
そういえば明日小テストあるって先生言ってたっけ…。別にノートがなくても教科書さえあれば何とかなるけど、予習も復習もしなくちゃいけないし。でも今からノート取りにいくの面倒な気がするんだけど…。
数秒間どうするか悩んではみるもののやはりノートがあってこしたことはないという答えにたどり着き、仕方なく踵を返すことにした。

誰ともすれ違わない静かな廊下。自分の上履きの音が反響してるなとなんとなく考えながらようやく自分の教室へ到着すると、少し違和感を覚えた。ここに来るまでの道のりで教室は勿論廊下だって電気が付いていなかったのに、何故かうちの教室からは煌々と光が漏れていたのだ。

誰かの消し忘れだろうか?それともまだ誰かが残ってるのだろうか…?

不思議に思った俺は教室の扉を開け中を確認してみると、数時間前に図書室で偶然にも出会った彼女が足を抱え込みながら席に座ってる姿が目に飛び込んだ。

「あれ?さんまだ残ってたの?もう下校時刻だけどー…」

“帰らなくていいの?”と言葉を続けようとしたが、何故かそれ以上の言葉が出てこなかった。
俺の視界に広がったさんの姿は肩が小刻みに動いていて、時たま聞こえる泣き声。その姿を見るだけで、それは何を意図してるのか俺でも分かる。そしてようやく俺の存在に気が付いたのか、鼻をすすりながら顔を徐々に上げて俺がいる扉の方へと視線を向けた。

「か、郭くーん……」
「……もしかしてさん、泣いてるの…?」
「何この主人公ー…最初嫌な性格してんだなって思ったら、あんな過去があったなんてー…ってか、もっと周りを頼ればいいのに、その方法が分からない主人公に同情しちゃう自分がいてさー…。もう目から大量の涙が零れて大変なんだよー…ううっ」

俺の存在に気付いたかと思ったら、何やら泣きながら貸した本の感想を早口に述べてくれるさん。
なんだ…ただ本の内容に感動して泣いてただけなのか…。最初彼女の身に何かあったのかと本気で心配になったけど、取り越し苦労だったのか。
それにしてもさんが泣くというのはなんか意外だな。あまり本を読まないって聞いたから、感情移入しやすい現代の恋愛小説をすすめたんだけど…まさか泣くとは正直思わなかった…。あの本は確かに感動するような内容だけど、余程のことがない限り泣くというのは有り得ないと思うんだけど…。まぁ俺は人より感情が顔に出ないと言われてるし、俺はそう思っただけで実は感動しやすい人は泣けるような内容なのかもしれない。
でも自分が紹介した本をこうして読んでくれ、泣いてくれるのはなんだか嬉しいもんだな。

「本って…本っていいもんなんだね…郭くん!」
「…もし良かったら、また本、紹介しようか…?」
「あ、ありがとおおお、郭くん!!」
「…とりあえず、もう教室から出ようか。下校時刻、もうとっくのとうに過ぎてる……」

教室にかけてある時計を覗いてみると、針は下校時刻の17時を大幅に過ぎていた。先生に怒られなければいいな、と内心心配しつつも未だ泣き続けている彼女の元へと足を進める。
感情豊かな彼女に次はどんな本を紹介しようか。本を読む楽しみがまた一つ増え、今年の秋はいつも以上に読書に耽るのだなと思うと思わず微笑してしまった。