「あー…本当に疲れた…。」
肩をがっくりと落とし、ゆっくりとしたスピードで歩みで我が家を目指す。これじゃ見た目は完全に新橋いるサラリーマンだろう。
あ、それじゃサラリーマンの人たちに悪いかな…。でもそれだけ、疲れているということだ。
ーー…え、なんでそんなに疲れてるのかって?そりゃー色々事情があるんですよ。
大学4年生には卒業前に卒論という怪物を倒さなきゃいけなくてね。今まで書いたことのあるレポートなど非じゃなくて、文字数も内容もかなりのものが要求されるかなり面倒くさいものがあるんですよ。その卒論さえ書いてしまえば大学を卒業する3月までは自由が約束されたのも同然なんだけど、完成するまでがとてつもなく辛いんだよ…!
ー…そんな感じで、私がこんなにも疲れたのには卒論と戦っていたというちゃんとした理由があったのだ。でももう提出し終わったから私には自由が待ってるんだもんね…!本当に頑張った私!!
ぐっと右手に力を込めて、思わず握りこぶしを作る。もしここが誰もいない空間だったら大声を出してでも喜びを表していたかもしれない。しかしこんな街中で突然叫びだしたら確実に変人扱いされてしまう。大声にしたい気持ちを我慢しつつ、空に向かって両手を伸ばし喜びを体で表現することにした。
んー!とりあえず卒論提出し終わったし、ひとまず一段落だな…。
家に帰ったら何食べようかな…。ってか作る元気残ってないんですけど。手書きで2万文字書いたせいで腕ぱんぱんなんですけど。何、このご時世に手書きで提出しろっていう方が有り得ないでしょ。何のためにパソコンが普及したと思ってんだ…!しかもうちの学部だけ手書きで、他学部はパソコンでいいなんて何この贔屓!贔屓は良くないと思うよ先生!みんな平等じゃないと生徒が不服だって暴動起こしちゃうよ!ー…まぁ、うちの学科が手書きになった諸説が色々呟かれてるんだけど、ちゃんとした理由は私もよく知らないんだよね。一説には何代も前の先輩が何かやらかした、という噂を聞いたけど…もしそれが事実だったら怨みますよ…名も知らぬ先輩……。
なんて思ってるうちに、いつの間にか自分のアパートに着いてしまったらしい。頭上を見上げると、見慣れたアパートが私を出迎えてくれていた。
おー…考え事をしていると、時間はあっという間に過ぎちゃうんだなー。時間は大切にしないとね。時は金なりってことわざもあるくらいだし。よし、もうくだらないことを考えるのを止めて、家に帰ってさっさと寝ようっと。うん、そうしよう。
階段をゆっくりと上がるが、疲れのせいか肩の荷が下りたはずなのに足腰が未だに重い。こんなにも階段を上がるのが辛いものなのか…年寄りじゃあるまいし、情けなくなってきたな……もう少し運動でもしようっと…。
階段を最後まで上りきり、部屋に通じる扉の前まで足を進める。あー…ようやく家に帰れる…と安堵のため息を吐きながら、ポケットに入れていた鍵をゆっくりと差し込んだその瞬間。突然今まで感じたことのない違和感に襲われた。
「…あれ?」
いつもなら鍵を差して右側に回せば、かちゃんって音が鳴るはずなのに…なんで今日は鳴らないんだろう…。音が鳴らないということは鍵が開いてる状態か或いは鍵自体が壊れてるかのどちらかが考えられるけど、私に限って鍵をかけ忘れるなんて失態はしないし、鍵だってそうすぐに壊れるもんじゃない。
ーーということは……?
「え、何、もしかしてー…泥棒!!?」
自分の発言に驚き思わず後ずさりすると、思い切り壁に頭をぶつけてしまった。痛いと無意識に感じたが、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。
うわー…なんでこんな貧乏学生の家に忍び込むかな…。うちん家にお金になりそうなものなんてないんだけど。ブランドにも興味ないし金品も持ち歩くことはないし、どこからどう見ても貧乏学生しか見えないと思うんだけどな…!あ、そういえばパソコンがあった…。いや、でもあのパソコン古いからお金にはならないでしょ!!
…ってかこれからどうしよう…。まだ泥棒がいるなら勝手に中に入らない方がいいよね。警察に連絡するかー…いやでも、もしかすると私が家を出る際に鍵をかけ忘れた状態で出かけた可能性もあるからな…。一回家の中に入って確かめてみるか…いやでもそれも危ないかもしれないし…どうすべきか…。
うーんと頭を捻り、腕も組みながら今後のことを考えていると、突然カチャリとドアノブを回す音が私の耳を通り抜けた。
「何ぶつくさ呟いてんの?」
「ッ!!?」
いきなり誰かの手によって開かれた扉。その扉の向こうには心配していた泥棒の姿ではなく、代わりに私の知っている人物が見下ろしていた。
「ま、柾輝ッ!?」
そう。その人物とは、同じ大学に通い私の彼氏でもある、黒川柾輝だった。
「おぅ、おかえり。何ドアの前でぶつぶつ呟いていたんだよ。気味悪かったぞ?」
「おおお驚いたのは私の方だよッ!!なんで柾輝が私より早く家にいるのさ!?」
「そりゃーこの間もらった合鍵使ったからだけど?」
あーそういや合鍵渡したんだっけ…。もう単位も取り終えてるし卒論も終わったら暇になるからと、気軽に遊びに来てもらえるように柾輝に渡したんだ…。まさか早速使われるなんて思いもしなかったけど。
なんで柾輝がうちの中にいるのか聞きたいのは山々だったが、安心したせいか一気に力が抜け疲れがどっとと押し寄せてきた。こちとら卒論を完成させるために何日もかけて作業してたんだぞ…。もう寝たくて仕方ないのに…柾輝の相手とかする余裕、今の私に果たして残ってるのかな…。
「ー…で、卒論が終わってへとへとな私に何の用かな?」
「卒論終わって疲れてるんじゃねーかなって思ったから、飯作りにきたんだよ。」
え、と思わず声に出す。そして目線を柾輝に移し冷静になって見てみると、柾輝の首から腰にかけてエプロンが付けられており、その姿を見るだけで何を意図しているのかさすがの私でも分かる。
もしかして卒論が終わってへとへとな私のために、わざわざ家に来て料理しながら私のこと待っててくれたのーー?
「ま、まさきぃぃぃー…!!」
前言撤回!よくぞ私の家に来てくれた、柾輝くん…!!
柾輝の気持ちが嬉しすぎて、その気持ちを表現するために私は思い切り柾輝に抱きついた。あぁ…柾輝からいい匂いが漂ってくる…。この匂いは私の大好物のイタリアン系だな。さすがは柾輝。私のことよく分かってる…!!
「もう柾輝大好きッ!」
「はいはい、外は寒いから早く中に入れ。」
まるで子どもをあやすような口調と動作で私に語りかける柾輝。ここは私の家なのに、いかにも柾輝の家に導かれるようなこの感覚…!もう、本当柾輝はさりげないカッコよさがあるんだよなー…。
外気の寒さによって出来たものか、或いは柾輝のかっこよさに惚れたから出来たのか分からないくらいの赤い頬を抑えつつ、ようやく柾輝の手によって家の中に入った。
「あ、そうだ。」
靴を脱いで玄関に上がるか上がらないかのそのタイミングで、何かを思い出したのか突然声を発した柾輝。
なんだろうと視線を柾輝に向けるといきなり頭にずしりと重みを感じ、その正体を知るべく次は頭上に視線を移してみる。するとその重みの正体は柾輝の大きい手で、急に頭をぐしゃぐしゃと撫で回し始めた。
「まだ言ってなかったけどおかえり、。」
「ーー…ただいま…柾輝ッ!」
そのさりげなさがカッコいいんだよ、バカ野郎おおお…!!と、叫びたいのを我慢しつつ「ただいま」と口にする私だったーー…。
卒論、頑張った甲斐があったな…。まぁもう二度と体験したくないけどね!