この日が来ないでほしいと、何度願っただろう。
いつも隣にいたお前がいなくなるなんて。
明日からお前がいない生活を送るなんて。
お前がいない生活を、俺が送れる訳なんてないのにーー。
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目覚ましの音でふと目を覚ます。
同時に寝ぼけ眼の状態でカレンダーに目を移すと、今日は休日で授業もなければ部活もない。所謂、寝坊が出来る唯一の日でもあった。
「ー…あ゛ー…マジ眠ぃ…」
頭をガリガリと掻き、無理やり体を起こす。
部屋全体を見渡してみると、同室のやつもまだ起きてはいないようだ。まぁ部活もないからまだ寝れる時間だもんなとなんとなく考え、軽く身支度を整えると部屋を出た。
「三上」
廊下に出て鍵をかけていると誰かの呼ぶ声が廊下に響き、ふと声のした後ろを振り向く。
「ー…渋沢…」
ランニングの帰りなのだろう、ジャージ姿でタオルを首からかけてる姿を見ると部長としての威厳を感じさせる。
俺になんか用でもあるのかと軽く首を傾げると、俺のところまで歩み寄ってきた。
「ー…今日、なのだろう?」
「えっ」
俺が困惑した声を漏らし思わず渋沢の顔を見上げると、渋沢は軽い笑みで返してきた。
……さすが渋沢だな。確か、部員どころか渋沢にも話してなかったと思うけど。ったく末恐ろしい部長だな…。
「これ一緒に渡しておいてくれないか?」
渋沢の手から受け取り覗いてみると、ビニール袋の中には一枚の色紙がところ狭しと書かれていた。
「部員のみんなで書いた色紙だ。どうせお前はこういうの苦手だろうし、サプライズの方が面白いと思ってな」
「…あんがとな」
部員の何気ない優しさに、ぐしゃりとビニール袋を握る手に力が入る。
今渋沢の顔を見ると、余計なことを言いそうで。せっかく笑顔で送り出そうとしてくれてる渋沢に申し訳なくて。
こんな時、何も言えない自分が、無性に腹立たしくなる。
「さんによろしくな」
「…あぁ」
渋沢にそう一言返事すると、俺は踵を返しその場を後にした。
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あれから何時間経ったのだろう。電車を乗り継ぎようやく目的地である空港に到着する。
入り口付近を見渡すと、誰よりも知ってるアイツの後姿を見つけ歩みを進めた。
「」
「あ、おはよー亮。朝早くからわざわざゴメンね」
声をかけると満面の笑みで返してくれる。その笑顔を見ると、何も言えなくなる自分がいる。
これからは遠い地に行ってしまうのに、なんで寂しそうな表情を一つも見せず笑顔でいられるんだよ。
二つ年上なはいつも大人びていて、を見ていると自分がどれだけ子どもなのか思い知る。
一番ツライのは、自身のはずだって分かってるのにな。
「ー…これ、渋沢から」
「渋沢くんから?ーーあれ、色紙?気なんか遣わなくていいのに…相変わらずね渋沢くん」
は俺たちサッカー部のマネージャーをやっていて、俺は勿論渋沢も世話になっていた。卒業してもたまにグラウンドに遊びに来てくれたから、藤代たちも気軽に話せるようになったらしく、俺たち武蔵森サッカー部にとってかけがえの無い存在となっていた。
だから色紙を渡すことなんて当たり前なのに、はいつも“気を遣わせた”などと口にする。
「まぁ渋沢だからな」
「ホント、良い部長さんになって頼もしい限りね」
「武蔵森の10番を背負ってる俺がいるんだ。渋沢だって安心して部長業に励めるだろうよ」
「亮以外にも藤代くんや笠井くんもいるもんね。それなら渋沢くんも安心するでしょ」
「うるせー」
くすくすとの笑う声につられ、俺も思わず頬が緩む。
久しぶりにと話したせいかこの時間がものすごく幸せで、気づいたら時間があっという間に過ぎ去ってしまった。
そして他愛も無い話をし続けていると、いつの間にかが乗る飛行機の搭乗時刻となってしまった。
「…もう行かなきゃ。じゃーね、亮」
よいしょ、と言葉に出し手荷物を抱えると、搭乗口まで足を進めようと軽く身支度を整え始めた。
そんなの姿を見て、もう逢えないんだと思わされる。
「いつか俺も行くから…」
に聞こえないような声量でぼそりと口に出す。
お前はいつも先を行ってしまう存在だけど、俺も自分のために。
自分の納得できるプレーが出来て、いつかお前がいる地で俺のプレーを見てもらうために。
お前の後を必ず追いかけてやる。
「わざわざ来てもらってありがとね」
ついに最後の別れとなってしまった。
どんな言葉をかければいいのか。言いたい言葉は沢山あるが、それを口に出すことで俺自身が耐えられるか不安で仕方なかった。
「……じゃーな」
「うん…。それじゃ最後に…」
俺に歩み寄ってくる。少しずつ距離が縮まり、気づいたら目と鼻の先の距離となっていた。
「誕生日おめでと、亮」
にっこりと、満面の笑みのの顔が視界いっぱいに広がる。
言われた瞬間、頭が真っ白になった。
その言葉を、今、ここで、聞きたくなかったのに。
じわりと涙が込み上げる。
1月22日ー…。そう、今日は俺の誕序日。
そんな日に、なんでーー……。
なんで俺の誕生日にお前は行っちゃうんだよ…。
目から溢れそうになった涙を見せないため、不自然にならない程度に顔ごとうつむく。
言葉が出てこない。何言っても声が震えてそうで、怖くて、言葉に出来ない。
「じゃ、行ってきます」
その言葉と同時にうつむいていた顔を上げると、颯爽と堂々とした足取りで搭乗口をくぐるの後姿が目に入った。
「気をつけて行って来いよ、…」
の姿が見えなくなってもその場に立ち尽くし、数分後ようやく重たい足を動かした。
外に出ると、雲ひとつない真っ青な空と太陽が、ギラギラと輝きながら上空に広がっていたーー…。